4月10日(木)、11日(金)
4月10日(木)
◇午前中、家。吉祥寺でのんびり昼食、本を読んだりして買い物。リュックサックやバインダーなどを探したけれど、あまり時間がなくてひととおり眺めて帰ってきた。パルコブックセンターで『ふらんす堂通信』をやっと買う。
4月11日(金)
◇文化学院のガイダンス。社会人経験のある人が何人かいて、オープンキャンパスなどで知り合った人たちとも再会し、少しほっとした。講義概要などを聞いて英語の試験。20年ぶりに英作文をしたけれど、ただ文法の決まり通りに単語を並べるばかりで(そこもあやしい)、どういう言い回しが普通なのかという体感的な蓄積は全くないことを確認した。英語のかわりに古文を読んできたと自分に言い聞かせて矜持をたもつ。語法は自転車や水泳みたいに比較的忘れていなかった気がする。
◇たくさん読んでたくさん書くことができそうだ、と期待が膨らんだ。楽しくやりたい。帰りに短歌などのメモ用に大きなノートを新調したり、通学用の服をそろえたりした。
◇夜、サイゼリアで家族全員の年間予定表を手帳に書き写してこれからのことを考える。歌にしてみたい内容を書き連ねてみたり。みんなどんな風に連作を作っていくのだろう。いつも特定の出来事を設定して、思いつく単語を書き上げて、その単語を柱にして作っていくのだけれど、そういうやり方では感情が後付けのおまけのようになるといつも思っていた。もっと感情そのものから出発したとりとめのない連作を、展開を気にせずに作ってみるべきなのかもしれない。いろんなやり方でやってみたい。
◇というようなことを考えていたら、退屈した下の子にiPhoneのメモのファイルを30個くらいぜんぶ消された。「(ゴミ箱のマークを)いっぱい押したよね?」と言ってもこどもはもじもじ笑って白状せず、「チョコレートケーキ食べさせてくれたら教えてあげる」という訳のわからない展開になり、チョコレートケーキをご馳走してゴミ箱マークを連打した事実を教えてもらった。記録ならどうにか復元できるだろうし、再出発には逆にちょうどいいかもしれない。
◇読書◇
やすみ。
4月9日(水)付『近藤芳美集』第3巻『遠く夏めぐりて』
4月8日(火)
4月8日(火)
◇休み。午前中ほぼ眠って過ごしてしまった。春休み疲れ?こどもと昼食、午後掃除の続きなど。いくらわたしが主婦だからといってひとりでは無理です、と家族に10回くらい懇願する。でも仕事を辞めた以上、家事の全責任を追うというのも多分当然なのだ。意外と大きな罠だったかもしれない。
◇うまく運ぶコツとしては、学校や短歌にまつわる作業が好きなこと、この一点につきる。
◇今の私の気持ちの流れの悪い部分は昔のしくじりにまつわる悔恨だけ。これからのことについては期待しかないのであるから、覚えていて仕方のないことはとりあえず意識の外へおいやるべきである。
◇読書◇
『近藤芳美集』第3巻『遠く夏めぐりて』。
3分の1くらい。
4月7日(月)付『近藤芳美集』第2巻『黒豹』
4月7日(月)
◇小学校の始業式。掃除して、お世話になっている仲良しのお友達を夕刻あずかる。
◇どうしようもなかった家を大分片付けて、よく人をまねいた春休みだった。こどもたちも楽しそうで、私も久しぶりにこういう安心をたっぷり味わった。できるだけ共用部分を今ぐらいに保って、この部屋で何をしようか毎日楽しく相談しながら過ごしたい。部屋が整っていないと、私もこどももテレビばかりを観てしまう。
◇あとは過剰を全部突っ込んだLDK以外の部屋を、何とか綺麗に。日本語学の本はやっぱり処分できない。講義や論文のためにつまみ食いのように読んできた手持ちの本もゆっくりはじめから読み返せたらいいなと思う。時間をかけてゆっくり解っていきたいことがいろいろある。本棚1本分の論文コピーもできれば処分する前にスキャンしたい。
◇読書◇
『近藤芳美集』第2巻『黒豹』
読了。難しいなとやはり思った。でもこういう政治的な事柄は、詩的な心地の良さとは無縁の所で読んでいくのが誠実であるような気もする。起こった事件や自分はそういった出来事にどういう気分で向き合っているのかを、短歌という断片として淡々としかし詳細に語っていくことで、単純な主張ではないひとりの人間の複雑な内面と、彼の目を通して見た1960年代の世界との双方を、一枚のからくり絵のように表現し得ているのだと思う。どのような主張があるとしてもあらゆる暴力、紛争、パラノイアのような特定の思想の盛り上がりに対して懐疑的であるという近藤の基本的な立場が、端的な形で現れた歌集でもあった。
第2巻読了。
ヘリコプター敵地に降りてなびくすすきいだく悲しみのすき透るまで
心低く耐えて思想となすときを虚構の戦後史が崩れつつ
川の橋平和の橋と名付けつつ人棲みともす焦土なりしを
国の苦渋大河の流れ聞く如く深夜の北京放送もやむ
吾と吾がことばに怯え眠る夜を雨降りしきる薔薇荒るる窓
4月5日(土)・6日(日)
4月5日(土)
◇何をしたかほとんど覚えていない。ほぼ家にいた?夕刻出かけた気もするけれど思い出せない。
◇9首出来ていた月詠の最後の1首を、とりあえず絞り出した。過不足なく、ベストの改稿をしたい。でも時間をかけすぎずに(そういう技術として)。
4月6日(日)
◇午後テニスに出かけたが、雨。図書館に寄って、新学期の学用品をそろえて帰って来た。
◇仕事を打ち切ったことについて、自覚しているより遙かに傷ついているんだと気づく。無理だと思ったことは無理だったのであって、このあたりは本人の自覚症状が全てであるから、この件について質問は受け付けない。
◇小保方さんと自分とを重ね合わせることが多い。彼女に罪がないわけでは全くないが、彼女の言うことはある線まで本当なのだろうと思う。私だって数え直せば絶対違う数になるとわかりきっているデータや修正事項が山ほどあるとわかりきっている翻刻を、毎回そのまま出してきた。悪気があるのではなく、ただ正確であることを重んじる時間がないのだ。綺麗な写真を撮り直す時間を節約するとか、データの貼り間違いをするとかだってリアルに想像できる。そういうレベルで一部若手の実力体力事務処理能力が追いついていないことに、指導者が気づくことはまずない。
◇そういうのが嫌だったから休むと決めたのだった。論文を書かずに教壇のみに立つことはできない、論文を書いている人にチャンスはあるべきなので。ひとまずは、文芸の面での書くこと批評することのみに、24時間×2年間、すべてを注ぎたい。
◇このあたりの問題に対する切実さは、研究者とそうでない人、おなじ研究者でもデータありきの分野の人と論じていくことに比重のある分野の人とでは、少し体感が違うのかも知れない。
◇研究者として期待されてきたことをつい思い出すから山をみると憂鬱だけれど、そういう期待から当面自由なはずなのだから、私は奥多摩の山の住人だ。
なし。『黒豹』を少しずつ。自分と自分の周囲の心の状態をおだやかに保って、ゆっくりと本が読みたい。