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薫る夕暮れ、わかりはじめる

読んだもの、観たもの、いただいたもの、詠んだ短歌などについての記録。

2014.4.1(火)付『近藤芳美集』第二巻『異邦者』(途中まで)

日記
2014.4.1(火)
◇ストップさせてしまっていた父母会活動の会計報告を慌ててまとめる。3時過ぎに就寝、5時起き。荷造りして6時半に家を出る。
◇行きがけに、短歌研究詠草のはがきを投函。新しく作ろうと思っていたけれど、結局以前作ったもので。
◇車でいわきのスパリゾートハワイアンズへ。6時半に家を出て、9時半着。東海村小名浜などを通って。3日間こどもたちはプール三昧の予定で、今日も午前中いっぱい、さらに夕食後、水につかっていた。私はプールサイドや部屋でゆっくりさせてもらった。
◇昨日で、これまでの勤め先(常勤、非常勤共)を退任。4月からは文化学院専修課程の学生として勉強することに決めた。教員として学生に向き合う人格、研究者としてものごとを分析する人格をしばらく休むことで、絡まり過ぎていた思考や暮らしが制御し直せたらなと思う。それから、短歌を作る作業のなかでのしくじりを減らして、精度をあげたい。学校での時間と短歌を読んだり作ったりする時間とを毎日しなやかに往還しながら、学校という空気に呑まれずに、2年間過ごしたい。前期は11日から。

◇読書ほか◇
『近藤芳美集』第二巻『異邦者』
 半分くらい(1962年途中)まで。難しい連作が時々あって進みにくい。旅先の例えばロシアで出会った人たちや現地で見たものを、ひどく細部まで観察して、しかもまるで毎日見ているものであるかのような筆致で語って行くから、描かれているものを頭の中に再現したり何を感じるべきなのかを整理するのに時間がかかる。よく指摘される文の構造としてわかりにくい歌も多い。歌の数も多い。
 けれどあくまで外の世界を観察、記録し、見解を表明するという方法で徹底的に語り抜く重量感には圧倒される。愛唱歌になる歌は生まれにくい手法なのかもしれないし、それは散文じゃないかという疑念もわくけれど、(あるひとりの人間が組み立てたところの)論理関係や脈絡を省いて、短歌という断片の集積として提示するという方法が、現実世界で起きた出来事をやや物語化するような効果を生むこと、(論理関係を組み立てる責任者としての)筆者が慎み深く姿をくらましたり、逆にそれを逆手にとって感情や思考を暴発させたりさせたりできる自在さ、そういった点だけで、紀行や評論として書かれたのでは駄目なのだ、これも短歌連作の魅力のひとつだと認めていいのではないか、と感じる。シンプルな言葉を書きつづった紙が一面に貼られた美術作品のようなイメージ。でももう少し歌数や重複する語彙は少なくてもいいような、読みづらいような印象はやはり残っていて、まだ読み切れていない。

  ブルドーザー芥のはてに夕日うけ海に降り来る風熱き雨
  残るルーブル集め合いつつ飲む酒に二つの窓の夜の海の闇