読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

薫る夕暮れ、わかりはじめる

読んだもの、観たもの、いただいたもの、詠んだ短歌などについての記録。

6月6日(金)、7日(土)

6月6日(金)
◇ずっと懸案だった原稿をひとつ送る。問題の解決だけが私を前にはこんでくれる。

◇連絡を取るべき人(数名)にまだ連絡をとっていない。身辺整理をしてからとつい思いがち。ビジョンが見えていないと話も出来ないだろうと思うからなのだが、この日少しわかったことがあった。

◇outsider art、生(なま)の芸術、という言葉について考えを巡らせる。outsideにしてもinsideにしても、既知のものについて議論する場合には書き手や読み手に対する、自浄作用が目的となるだろう。その場合、これまでに書かれたものよりごくわずかに、刺激が強かったり同系統だけれど違うパターンのものであったりすればいい。島田雅彦さんの『CAの受難』(「新潮」6月号)なんかはこのパターンなのかもしれないけれど、最近読んだ中で衝撃を受けたもののひとつ。

◇もうひとつは未知のものを探るという道がある。その場合、outsideにしろinsideにしろ、典型的なその中心から始めるよりはoutsideとinsideのはざまのようなところから、境界を押し広げるように進んだ方が成果を得やすいように感じる。そのあたりにたっぷりと滲みこんでいる筈の涙が気になって気になってたまらない時期があったが、近頃ではそのあたりのゾーンに絞らなくても涙は全体的にじっとりと滲みこんでいるということが、感情のレベルでわかってきた。

◇つまりoutsideそのものには、私はあまり興味がない。生(なま)にはどこまでも関心がある。


6月7日(土)
◇朝、コメダで短編の改稿をしようと思ったが、うまく進まなかった。先月末でいちど心を使いきったけれど、そうも言ってはいられない。

◇ふたたび自分の身めぐりを思って落ち込む時期が来た。けれど4月の頭のころから比べて、自分の中での書くものに対する理想が全く別物に変わったなあと実感する。他の選択肢もあったし、そちらを選んでいたらどうなっていたのかはわからないけれど、自分の自分に対する要求の水準が上がるのはいいことだし、それがなければ前進出来ない。

◇わたしのPCで「ようきゅう」と打つと最初の変換の候補が「耀宮」と出てくる。『日本国語大辞典』なんかで見ても「耀宮」という言葉はないのだけれど、いつの間にかそういう打ち癖(2文字まとめて出てきてくれる)が染みこんでいたのだな。「耀宮」という言葉があっても良いとおもう。かがやく宮殿。