薫る夕暮れ、わかりはじめる

読んだもの、観たもの、いただいたもの、詠んだ短歌などについての記録。

角川「短歌」2019年10月号

 「特集「型」を歌に生かす 五七五七七の本質を知る」。

寄稿しているのは佐伯裕子、春日いづみ、梅内美華子、高木佳子、花山周子、小原奈実、大松達知、島田幸典、堀田季何、安田純生、今井恵子。

 

 ごく大まかに言えば、切り口は二つ。

1,五七五七七という型があることの効果。定型のもつ効果。

2,型がどのように崩されて来たか。破調のあり方や効果。

定型について話せばそこに到るだろうごく自然な論点だが、ひとりひとりの語り方は当然違って、想像していた以上にいろいろ考えさせられた。

 

 個人的にとても印象的だったのは、小原奈実さんの短歌とは個人がゼロから五七五七七をくみ上げるのではなくて、マイナス五、マイナス七、マイナス五、マイナス七、マイナス七、という型の陰圧に「言葉」が流れ込んだ結果の零なのではないか、との見解。綺麗に収まった時の美しさが定型にはあって、その一方でマジョリティの思考に添った読みでどうしても読まれ、マイノリティであることを語れば、そこだけがその歌の核として受け止められてしまう弊害があるという話に、定型で歌を作る楽しさと悩みのほとんどが詰めこまれているように思った。

 

 つまり、読む側のごく一般的な読み筋というもうひとつの「型」がある。このような「読まれる」こと、さらに言えば個々の歌がたとえば勅撰集の部立ての中に自動的に振り分けられていくようなレッテル貼りがされることへの違和感を、同じ世代のいろんな作り手から聞くような気がする。世代を限定した話ではないのはもちろんだが、とくに今日はじめて世界を目の当たりにする若い世代の人たちは、そこへ収斂されることにほとほと疲れ果てている、疲れ果てさせられているのかもしれない。