薫る夕暮れ、わかりはじめる

読んだもの、観たもの、いただいたもの、詠んだ短歌などについての記録。

12月5日(木)付・近藤芳美『静かなる意志』

12月5日(木)

◇午後、授業3コマ。『伊勢物語』39~40段、森有正『木々は光りを浴びて、・・・』、中世日本語の文法など。

◇帰りに立川のオリオン書房をはしごして、歌壇、短歌研究、角川短歌を買う。お店の間で電話をかけて在庫確認をしてもらった。助かった。歌壇はさすがに間に合わないかと思った。もっとこまめに行かねば。

駅ナカでプリプリ海老ワンタン麺(四川坦々味)を食べたからか、12月だけれど寒さの穏やかな帰り道だった。

◇読んだ本
・『近藤芳美集』1『静かなる意志』
 読了。眼差しは相変わらず時に異様な冷たさを帯びるけれども、特定の人を描く時の関心が瞬間的ではなく、時間的な幅を持つように変化した印象がある。鋭いながらも温かみを感じるのはそのためかと思う。『静かなる意志』というタイトルが確かにしっくりと腑に落ちる。
 1年半の間にこれだけの歌を作ったことも信じ難いし、妻や姉や親や仲間や風俗など、あらゆることにつぎつぎ関心を持って喜怒哀楽をいちいち味わい尽くしていることにまず舌を巻く。タフにならなければ。

 きりぎしの土の崩れに立つ鳥のしきりなるかな夕べにくれば
 洗ひたるシヤツを吊り干す夜の部屋はだかの体ひとり横たふ
 ゴム長靴はきたる妻は出でて待つ白々として月に立つ霧
 杭打機白き蒸気を吹き上げて波ににごりたる岸のへにあり
 たなびける雲の幾筋白くして星をいただく街の上の塔
 

12月4日(水)

12月4日(水)

◇家で仕事。夕刻、こどもたちとインフルエンザの予防接種に出かける。注射で泣いたことはないけれど、針が迫ってくる瞬間、職場はどこにあるとかそういうレベルの世間話すら正常に受け答えできないくらいには動揺してしまった。会話の相手だった院長夫人は何て思ったろう。はずかしい。

◇私は前進しているのか、していないのか。欲しいものはどれだけ待ってでも欲しい。

◇読んだ本
・『近藤芳美集』1『静かなる意志』
 文体が急に穏やかになっている。風景や人への心寄せの深度が少し深まっているような気がする。まだ読み終わっていないのであとで要再考。

  作業台絶えず小さき火花立ち夕日の中に働く少女ら

12月3日(火)付・近藤芳美『埃吹く街』

12月3日(火)

◇よくわからぬことをよくわからぬと思うことで一日を費やした。寝る前の結論として、あまり人のことを気にせずにやりたいことに惜しみなく時間を注ぐと決めた。人生での一番の、夢にみた贅沢。

◇夕刻、居間の掃除。2ヶ月前に買ったまま放りっぱなしにしていた新しいソファーカバーもきちんとかぶせた。クリスマスツリーを出すのをこども達に任せたら、大喜びであっという間に組み立ててくれた。ある程度の水準で自分が幸せであることはむしろ義務だ、と思った。

◇『埃吹く街』。近藤芳美の文体の、どこかじゃりじゃりと砂が混ざっているような感じは一体何だろう。言葉やものの取り合わせによる叙情を抑えているかのようで、描かれている事柄や行為そのものに心が動かされるような文体。作者の周りの人たちへの愛情ではなく、むしろ時に突き放してすら描くことで彼らの仕草そのものが提示されている。結局近藤芳美の職場や妻や行為のなし手としての近藤を好きになったような読後感。姿勢としてとてもよく解るしこの文体を私は好きだ。
 また、読んでいてわからないことがやはり多い。突然敬語になる歌は誰に敬語を使っているのか、とか、これはおそらく当時の象徴的な事物なのだろうけれど何を象徴しているのかが把握しきれない、など。今聞いておかなければ失われてしまうことがたくさんある気がする。
 
   戦ひの終らむとする前にして長安を恋ひ行きたまひける(←この「たまひ」は何?)
  いつの間に夜の省線にはられたる軍のガリ版を青年が剥ぐ
  起重機の並ぶ地平に上る月とび色をして浮き上りたる

  胸を下に寝ぬれば月の清くして一人の如くつぶやける妻
  かぎりなく音階を引きくりかへす降る事もなき夜のくもりに

◇「幸せ!ボンビーガール」でゲストの志村けんが「貧乏は夢への準備運動だな」と言っていた。まさに今日の私が聞きたい言葉で、彼を好きになった。

◇読んだ本
『近藤芳美集』1『埃吹く街』

12月1日(日)、2日(月)

12月1日(日)
◇午前、短歌研究詠草。書き上げたものと仕事で必要な郵便物を武蔵野郵便局まで出しにでかける。

◇午後はこどものテニス。上の子が滑って頭を打つ。難しい球をとろうとしたのかと思ったら、友達が打つのに見とれて転がっているボールを踏んだらしい。見とれる気持ちはとてもよくわかる。大事にはいたらず。

◇昨夜の寝不足がたたって眠ってしまい、NHK短歌送りそびれる。うたうクラブも1首しかおくれず。題詠blogも70首までしか出来ず。少し歌の出どころを変えたい。

◇読んだ本 なし

12月2日(月)
◇午前講義2コマ。中世・近世の日本語の音韻、日本語の語彙など。

◇午後、読書。『近藤芳美集』を読む。自分の求めるもののレベルを少し上げないと、全ての歌に付箋がついてしまう。初期の歌はやはりきらきらしていて、羨ましいなと思う。なんかもう、これ以上現代短歌は必要ないんじゃあないか。

◇「未来」12月号が届く。今月号の自分の歌は、あまり好きではない。夏の旅行中に作った歌だから、浮かれすぎている。夏の大会の報告を書かせていただいた。「歌会記」にも私の歌をとりあげていただいた。その場でいただいた評が活字になるのは、成るべき形に成りなさいと刻印をされるようですごく嬉しい。シンポで主張したことと、一首選や歌会記の自作とがまったく合っていないことも、今の私の姿そのもの。シンポで主張したことも、やりたいのです。まずは次の10首をちゃんとつくりたい。

◇『海の上の診療所』。きな臭い人(またはその身内)が毎週かならず運び込まれるという展開はいかがなものかと思いながらも、非常に好きである。

◇読んだ本
・『近藤芳美集』1『吾ら兵なりし日に』

・「未来」12月号

11月29日(金)、30日(土)

1129日(金)

◇午前、イギリス詩を研究している知人の部屋をたずねる。紅茶と焼き菓子をいただきながら、あっという間に2時間話し込む。日本語や英語の歴史、イギリスの詩、書くことと論じること、かつての政治の中心地で暮らすことなど。とても厳しく、大人らしくプロフェッショナルな方。ソーサーを(テーブルではなくて)膝に乗せて紅茶を飲むさまが日本人とは思えぬほど格好良い。あまりに楽しくて長居してしまったけれど、迷惑じゃなかったか心配。

 

◇その知人が自分は表現することに抵抗がある人間なので、翻訳や評論くらいの距離で文芸とかかわるのが丁度いいと言っていたが、その感覚が私にもよくわかる。私は実作をしているけれど、それでも自分の中にある情念のようなものをどこまでも掘り下げることにいつも抵抗を感じている。自分の気持ちなどはとりたてて表現すべきことではないような気がしてしまう。

 

1130日(土)

◇午後、新鋭短歌シリーズのイベント。不思議な空間だった。このシリーズの著者たちが今年の「新鋭」だとして、彼らの共通の特徴は何だろう。作品の面ではほとんど共通点がないと思う。所属先があるにしろないにしろ、こういう機会がいつか来ることに賭けて自分の居場所を定めてきた人たちだということかもしれない。

 

◇どの部も印象的だったが、特に第二部は面白かった。陣崎草子さんの、短歌とコラボしやすいジャンルとそうでないジャンル、コラボさせようとした結果短歌を選ぶ場合と短歌を捨てて詩を選ぶ場合とがあるという話など、みんなそんなに気前よく奥義を話してしまってよいのかと思ったけれど、気前のよい人間が勝つのかもしれない。

 

◇読んだ本、歌作 出来ず。

11月28日(金)

11月28日(金)

◇午後、授業3コマ。『伊勢物語』31~38段、梶井基次郎についての関井光男のエッセイ、中世~近世の文字、表記、辞書史。

◇歌が2日作れずにいる。歌を作る以前の問題がある心の状態であったから、正しい停止なのかもしれない。けれど毎日作れなければはじまらないのであって、こういう日が挟まらないようになりたいと思う。

◇世の中とはよくわからないところで、よくわからないと思うだけで毎日過ぎていくけれど、私が選んで手がけていく仕事が、近しい人たちに気に入ってもらえたらいいなあと、そうでなければやり切れないなあと思う。

◇読んだ本
『近藤芳美集』第一巻『早春歌』

11月27日(水)

11月27日(水)
◇考えることで日が暮れた一日。窓の外が明るくて、いい一日だった。
◇自分の判断や決断には自信を持つべきであるという結論にいたった。つまり託して大丈夫と判断した事柄は、託してよいということ。
◇最近、うちの家族は前世では玉川兄弟だったのではないかと思ったりする。
◇読んだ本
・『近藤芳美集』第一巻『早春歌』。ざっと通読してみたい。